ニンジンから永遠の循環へ


自然(環境依存)栽培で「それなり」を知る。

機械もないし、鍬で耕すのもやーめた。

しかしながら、

植物は根を張ることができないと、育たなくもないけど大きくはなれないんですね。

固い土に種をまき、除草もそこそこにして「それなりに」育った人参。

厳しい環境であるほど、種の性質が強く表出し、生育にばらつきが出ます。人社会もそうですかね。

葉が赤っぽくなりました。ストレスを感じると、葉にアントシアニン色素があらわれ赤みを帯びることがあるようですが、土が固いから頑張りすぎたんでしょうか。野草も冬は低温に感応して赤っぽくなっています。そこにアゲハの幼虫が葉をむしゃむしゃ。虫も殺せないので、3mくらい向こうの草場に放り投げます。

播種後、170日くらいたった12月下旬、ようやく掘りあげました。光合成不良で色が薄いのと野生の香り(というかセリ科特有の臭み)で、ほぼ野草です。

借りて2年目の畑は、肥料を入れず草を生やしてきたので窒素が抜け、かといって刈り草はまだ土を肥やすほどの有機物にならず、ほぼ無肥料で、微生物を増やすために米糠を表土に薄く蒔いただけ。

一方、家の北側の、ちょっとした空きスペース。

時々野菜くずや落ち葉を捨てたりしていたため、土がけっこう肥えているので、もったいないなと。

朝日が当たらず半日陰だけれど、蔓ありいんげんの種を蒔いたらけっこうに育ちました。

こちらはまったく手を加えなかった「それなり」。

「それなり」という自然のなりゆきは、時々私たちを驚かせたり喜ばせたりしてくれます。


〇〇農法とか、方法論ではだめだと気づいてから、ようやく「そのもの」を見るようになりました。

植物とか農学を勉強してきてない人が、早く結果がほしいからと、誰かの真似するだけでは、違う環境の場合はどうしていいか分からなかったのです。

植物の、いのちの営みや欲求についてを、科学的にも学ぶことにしました。といっても、植物生理等の参考書を読む程度。


いのちには欲求があるからこそ動いていますが、その欲求、どこから発するんでしょう?

いのちは未だ「摩訶不思議」

私がいます。いのちがあります。

いのちさん、あなたの欲求はなんですか?

生きることです!

どうしたら生きられますか?

自らのいのちを生かす方法を知りえるのは、自分だけ。

身体は感覚であり知性であり、その欲求によって動くのが「それなり」。

植物は我欲のない賢者のように、自然界の力に感応し適応し、他の力を借り、あるときは自らを与え、生死をこえた永遠の循環のなかにあるようです。

私はこの、

「生死をこえた永遠の循環」を受け入れる死生観

が、社会を大きく変えつつあると感じています。

曼荼羅 ∞ みたまのちからをひらく

manda―本質・真髄、la―得る mandalaは真理を得るという意味。 拠点は"http://mandala-life.net"自己と社会と地球を健やかにしていく道中の旅人。

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